韓流エンタメと時々若旦那のお話



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ひなちゃん、元気でね

11か月間、一緒に過ごしたひなちゃんが、ママと一緒に帰っていきました



慣らし保育の後、ひなママがひなちゃんを置いて帰ってすぐに脱走・・・
どうなることか・・・と思いましたが
案外早く馴染んでくれて、私や母の後をついて歩くまでになりました
人嫌いで、プライドが高く、独占欲も強いうえ、心を許す人が少ないという
ちょっとややこしい性格のひなちゃんですが
それだけになついてくれる人には可愛くてたまらない子なんです

ひなママが北海道に戻る事になり
パパのどうしてもひなちゃんを連れて帰って欲しいとの希望で
一緒に北海道に戻ることになりました
預かった当初から、母がひなママに
「あなたが帰る時は、ひなも連れていきなさい」と
ずっと言っていましたしね

 迷子の迷子のひなこさん
 あなたのお家はどこですか
 かぁかの名前もわからない
 ねぇねの名前もわからない
 泣いてばかりいるひなこさん
 犬のおまわりさん、困ってしまって
 ワンワン ワワン ワンワン ワワン  

今年に入ってから、ひなちゃんを抱いてよく口ずさんでいた替え歌です
まだ、ひなママからは何もきかされていなかったんですけどね
なんだか予感があったのかもしれません

愛嬌たっぷりのレイちゃん(半年お姉さんのチワワ)と一緒に育ったひなちゃんは
2kgという小さな身体で
うちの90kg近い弟並みのイビキをかく子でした
それが、夏を過ぎた頃からだんだん静かに眠れるようになり
年末頃にはいびきをかかない子になっていました
私と母の間を自分の気分で行ったり来たりできる環境が
「存在を示す必要性」を感じなくさせていたのでしょう

 みーちゃんがやって来てからは
 グーグーのひなちゃんに逆戻りしましたが ^^;

ひなママが遊びに来ても
会った時はものすごく喜ぶのですが
二度と後追いをする事はありませんでした

先日、母の実家の法事に連れて行った時も
ひなママや、ひなちゃんがなついている従姉もいたのですが
時間が過ぎていくにつれ、私や母に抱っこをせがみました

 そろそろ帰ろうよ・・・とか
 まだ帰らないの?の合図ですね ^^;

ひなちゃんにとっての家族は、私や母であり
我が家がマイホームになり
ひなママは、時々会いにきてくれる大好きな人になっていたのだと思います

それでも我が家で時々天井を見上げ
「あれ?私はどこにいるのだろう?」という表情をする事もあって・・・


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-- 家族 - 23:47 - comments(0) - -
春の日

この春、高校を卒業して4月から大学生になるチビ介1号がひとりで帰省してきました



急遽日程を決めたようで、帰省するその日に「帰ってくる」メールが回る始末
新幹線に乗った1号の元には「乗り過ごすな」「寝過ごすな」「小倉で下りろ」と
多くの人から心配メールが入ったそうです
かくいうくまやもそのひとり
1号は「私をなんだと思っているのっ」とおかんむりでしたが
あの小さかった子が・・・と思うとみんな心配でたまらないのかもしれません
小倉からは「俺が迎えに行く」とマンネが仕事をやりくりしてくれました

2泊3日の短い滞在時間・・・これくらいがちょうど良かったのかも
私は木曜日の午後に休みをもらって
ふたりで最寄りのイ○ンモールへ買物に行きました


コモ宅は夕食が4時なので、それまでに戻るとすると時間はあまりありません
「何が欲しいの?」と尋ねると「お財布」とのこと。
今は中学生時代に買ったキテ○ちゃんの長財布を使っているそうです
数軒見て回って、最初にふたりで「可愛い〜」と飛び付いた某ブランドに決めました
予算の倍くらいだったようですが「ばあちゃんにもらったお祝いで買う」
それから洋服をあれこれ試着しまくって
ワンピース、ミニスカート、トップス×2、ライダース風薄手ジャケット、パンプスを
購入しました
試着の時、ふわテロの薄手ブラウスに、ミニスカートを履き
「足出したくない〜」とゴネる1号に「似合うじゃん」と説得していると
店員さんが「ヒールを履くともっと足が奇麗にみえますよ」と
パンプスを出してくれました

おも、おも、おもー 

思わずホン・ソクチョンさんみたいな声が出そうになりましたよ
そこにはどこかの見知らぬお譲さんが立っていたんですから
私にとっては、いつまでも小さなチビ介でも、世間から見れば
立派な大人なんですよね

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-- 家族 - 12:53 - comments(0) - -
美鈴です
 2月10日に新しい家族がやってきました

生後四か月のロングコートチワワ
名前は紆余曲折あったのち 美鈴=みすず となりました

ひなちゃんは、ペットシーツで排泄ができずに
全て屋外でやっていましたから
ひなちゃんを迎えるにあたり準備したペットシーツは
2枚ほどしか使っていませんでしたが
ミーちゃんは一日3枚以上を消費
環境の変化にまだついていけないからか
食べたり飲んだりした以上のモノが出てきているような感じです



モゾモゾ、モグラの様です
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-- 家族 - 13:23 - comments(0) - -
ギフトボックス
 英語で言えばそうなるのですが、日本風に言えば荷物
釜山のお土産もやっと送ってもらえる時期がきました

チビ介5号へは青いトレーナー
ショベルカーのアップリケ付きです




それから洋菓子とチロルチョコ
釜山旅行からこっちお気に入りのマーケット・オーのブラウニー



クリスマス仕様のパッケージなのに
賞味期限がクリスマス前に来るってのがちょい納得いきませんが
地元のお菓子屋のものをチョイス


檄辛柚子胡椒と少しでも被災からの復興の助けになればと購入した八女茶




弟夫婦といつもよくして頂く義妹のご両親に
釜山みやげの手袋




そして受け狙いでPSYの靴下



意味がわからなかったりして


本日発送予定
-- 家族 - 11:27 - comments(0) - -
3回目の夏
 この家に引っ越してきて3度目の夏を迎えました
今日は弟からお花が届きました

年月が経つのは早いような遅いような
もう3年という気もすれば、まだ3年という気もします
今年の春に家族に加わったひなちゃんは
日に日に存在感を増していき
冬までにはこの家の主になるのではないかという勢い

こうやってつつがなく過ごせているのも
支えて下さっている皆様のおかげです
ありがとうございます

これからも今まで通りオンマと喧嘩しながらマイペースで
やって行きたいと思っています
これからも宜しくお願いします


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-- 家族 - 23:51 - comments(0) - -
ひなのです

新しい家族が増えました



 ロングコートチワワの「ひなの」5歳です
 ママに連れられて北海道からやってきました
 専業主婦だったママは、これからお仕事とかもしなくちゃならないので
 ひなのの面倒をみられないから
 ママの従妹のくまや家に養子にきました
 ママが手作りの洋服をたくさん持たせてくれました
 首輪もママのお手製です
 夕べはママと一緒にこの家で寝たけれど
 どこを探してもママがいないので
 今夜はばぁばと一緒に寝ます

初めてこの子の名前を聞いた時に、母絶句
一昨年の暮れに亡くなった親戚の女の子も
「ひな」って呼ばれていました
でも、この子だって5年も呼ばれてきた名前
今更替えるわけにもいかず
ひなちゃん、ひなちゃんと呼ぶたびに
なんか二重に切ないです
これも何かの縁かもしれません

※お隣に住む男の子の名前は、以前飼っていた愛犬と同じ名前で
  女の子はチビ助2号と同じ名前
  ふたりが呼ばれるたびに、我が家のふたりがつい反応してしまいます




2キロちょっとしかないって事ですが
ずっと抱っこしていると、だんだん重くなってきます
でも不憫だから、ねだられるとついつい抱っこしてしまう・・・
本日、ちょっと目を離した隙に、早速逃亡
早く我が家に慣れてくれるといいのですが

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-- 家族 - 22:21 - comments(0) - -
七五三

今日は七五三のお参りに呼んで頂いたので
日帰りでチビ介5号のところへ行きました

 11時前に広島について
 11時半からお祝いのお膳をかこんで
 1時からお参り

の予定が、まさかの

新幹線大幅遅れ

JRの切符を買う時に指定席を買おうとしたら
今、新幹線は止まっているので、小倉に着いてから様子を見た方がいい
と言われ、とりあえず乗車券と新幹線の特急券だけを購入して
ローカル線で小倉へ向かいました

案の定、小倉駅は大混乱で
新幹線の待合室もホームも人でいっぱい
この時、9時半くらいだったか

とりあえず一番早く動くという「みずほ」の指定席に乗り込んで出発待ち
「10時にすべての列車の運行許可が出た」とのアナウンスがあったけど
「先に出た列車がまだ止まっているので・・・」とかで
順番がくるまでは止まったまま
いつ順番が回ってくるかめどが立たないので
「食事はキャンセルしてくれ」と弟にした

10時10分頃に出発したはいいけど、今度は同じ理由で新山口で停車
指定席は満席(指定券ナシでも座ってた人もいたようよ)
乗車率120%
私ら親子は指定券ナシですから当然通路に立ってた

「トラブルがあった新岩国での停止指示は解除になりました」とかで
やっと動き始めたんだけど
今度は様子を知らせようにもが送れない
山陽新幹線はトンネルが多いのはわかっていたけど
こういう緊急事態の時はほんと困るわ

「広島駅のホームが空いていないので」とかで
新岩国で結局停車
この時11時くらいだったか


そして衝撃のアナウンス
この列車は広島止まりとなりました
「大阪方面へお越しのお客様は後続の列車に御乗り換えください」
この期に及んで・・・

私らは広島で降りるからいいものの
慌てたのが、鳥栖だか久留米だかから乗っていたと思われる
アジョッシ10人ほどの団体さん
150分遅れで小倉を出た時点で予定に入っていた
「なんば花月」の観覧はあきらめたようだけど
広島で降ろされて、次の列車に乗れって・・・
しかもその列車も乗車率は似たようなもののはずで
そこにこの列車を降りた人が加わるわけだから
大阪までは立っていかなきゃいけないのは必至
添乗員さんが気の毒だった
それでも品のいい方々だったので、添乗員さんには不平を言わず
「広島で降りてある程度落ち着くまで時間を潰しましょう」と
リーダーとおぼしき方が提案してた
こういう時って添乗員さんの力量が試されるわよね
今日の半日のスケジュールを急遽組み換えにしなきゃならない訳だから
いい迷惑だ
落ち着いた良い方だったけど
私たちが乗車した時点で始発からのトラブルはわかっていたはずなのに
 JRのアナウンスは遅すぎる」って怒ってた
乗車の時に様子や目途をアナウンスしてくれてれば
早めに手を打てたはずだものね

新岩国での停車中にして直接神社に行くと連絡しといたからいいものの
新岩国を出て広島直前のトンネル内でまた停車

結局広島に着いたのが12時前
広島駅のホームもすっごい人で溢れてたわ

食事はふたりで駅でお好み焼きを食べた
母は「大阪のお好み焼きの方が好き」とか言いながら完食してましたわ


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-- 家族 - 23:37 - comments(0) - -
雨の日曜日

朝から雨の音で目が覚めました
気温は25度くらいまでしか上がらず
久々にクーラーのお世話にならずに済みました

母にねだられて雨の合間の午後に山に行ってきました



この緑のオバケみたいなのはゴーヤ
オッパが添え木を高くしすぎて
一番高いところには手が届きません



収穫しちゃった後なので、こんなちっこいのしか残っていませんが
種を除いて2キロくらいは採れたのかしら


そしてゴマの花



これを収穫できるのはもう少し先ですね


雨模様の日本と違ってソウルはよいお天気だったようです

シウォニのツイッターから



先日亡くなられたお祖母様のためのミサがあったのでしょうか
ご家族と教会に行かれたようです

そう、哀しみは少しずつ心の奥底に畳んでいくしかないのですよ
忘れるなんて事はできないから
思い出と一緒に生きて行くしかないのです
お祖母様への一番の孝行は、シウォニが見送ってあげられたってこと
子供や孫に先立たれるほど不幸な事はありませんものね

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-- 家族 - 20:04 - comments(0) - -
今年の桜(改題)

先月末から身内の不幸とか、入院とかがあったうえに
期末の慌ただしさに上司の交代とかもあって
ずいぶんイライラ



新しい上司は5歳年下で、今まで名前呼び捨てにしてた後輩っす
韓国だったら私の事「ヌナ」って呼んでたようなトンセン
奥さんは会社とは全然縁がない方ですが知っているくらいな仲です
6年の「大陸流し」を終え、やっと本社に帰ってきました
この部門の社内の仕事は殆ど素人なので
私なりにできるだけサポートをしていくつもりですが
どーか同じ様に帰国組だった前任者の仕様を受け継いでくれるな
と祈るような気持ちです

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-- 家族 - 23:49 - - - -
お墓参り
お彼岸の中日である今日は雨の予報だったので
一日早く、お墓参りに行ってきました

そして、母の実家のお仏壇にもお参りをしてきました

つつがなく過ぎて行く毎日
最近は特にありがたいと感じます


2月にSuper Show を観に上京した折に
叔父のお墓参りに行ってきました

亡くなった叔父は母の一番下の弟です
私が生まれた時は、もう家を出ていて、東京に住んでいたので
両手で余るくらいの回数しか会った事がありませんでした

叔父が結婚するとき
祖父の葬儀
弟の結婚式
そして、叔父の退職の報告会
発病して、私がイモふたりと母を連れてのお見舞い
若旦那のショーで上京したとき
そして亡くなる直前に母と再び訊ねた時

叔父が独身の頃に何度か会っているとは思いますが
私が幼すぎたので記憶が曖昧です

子供がいなかった叔父は、神奈川在住の従兄弟を
とっても可愛がっていて
最後に会った時は、彼の家族と一緒でした

偶然3人だけになった時に
病室のベッドに横たわって私たちふたりをみていた
優しいまなざしを今でも忘れる事ができません

あれから5年くらいでしょうか
叔父の存在を感じながら過ごしてきました
「なんでミーちゃん、ここにおるんやろう」
そうずっと思いながら・・・
私が叔父がずっと身につけていたブレスレットと指輪を
譲り受けたからかもしれません

被災した時に「ああ、ミーちゃんが助けてくれたんだ」と
思いました
それなのに、なかなか上京する機会がなく
今回やっとお参りに行く事ができたのです

 

叔父が眠るお寺は私鉄沿線の閑静な住宅街の中にありました
住んでいたマンションのすぐ近くです

布袋さんがお祭りされていました
母と、母の兄弟3人分のお守りを頂いて帰りました

-- 家族 - 17:57 - - - -

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